ゴジラの暇つぶし日記

『野球』『映画』『お笑い』『旅』『競馬』『音楽』『ラーメン』『歴史』『健康』等々について書いてます。 暇つぶしに読んでください☆

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歴史『日本の100人<第2号> - 坂本龍馬』

 

こんちわ。無類の歴史好きです。

 

←『日本の100人』第二号 坂本龍馬 発売元:DeAGOSTINI


出ちゃいましたよ。

 

僕の尊敬する人!

 

リョーマーー、サカモトーー!

(K1のリングアナ風だから、リの部分は、大いに巻き舌で読んでください)

 

1月31日が、発売だったんだけど、地元で夜中0時までやってるCD&DVD&本屋が一緒になってるお店あるんだけど、その日の帰りは、23時だったにも関わらず、

一回家に帰って、スーツのまんま車でそこまで行って、

買ってきちゃいました。はい。悪いですか??

 

いや?、読めば読むほどやっぱこの人すごいわ?。

 

毎週、DVDにNHKの『その時歴史は動いた』を録画しておいてるんですが、

 

そこで坂本龍馬をやったときに、

 

「竜馬は薩摩のあやつり人形だった」みたいなこと言ってる教授がいたけど、

 

そうだったとしてもいいよ。

 

初の商社的なものを作ったのが、龍馬だってことは、ブレることのない事実だしね。

 

龍馬は、武士っていうよりは、もうすでに商社マンだったね。

 

<チョメチョメチョメラジオ>

 

ゴジ 「龍ちゃんいつものやったげて♪」

 

龍馬 「おう、聞きたいか、オレの武勇伝♪」

 

ゴジ 「そのすごい武勇伝を言ったげて♪」

 

龍馬 「オレの伝説ベストテン♪」

 

ゴジ 「レッツゴー♪」

 

ちょっとやってみたかっただけです。

 

取り乱ました。すいません。(笑) クルリンパッ(上島竜平風)

 

 

1867年の大政奉還までこぎつけたのは、龍馬が

 

船で書いたものを土佐藩の後藤象二郎に渡して、

 

後藤が、土佐藩主、山内容堂に渡す。

 

山内から徳川慶喜へ。そして、成ったわけで。

 

それが『船中八策』ですね。
 

←これが、龍馬のふるさと高知県に旅したときに買ってきた布キレ。

 

船中八策の内容が書いてある。

 

自宅の僕の部屋の勉強するための机の目の前に貼ってあります。

 

 

 

すごいですよ。船中八策!
 

はい!

 

「武勇伝♪武勇伝♪武勇デンデンデデンデン♪」

 

「レッツゴー」


 

龍馬は、27歳のときに土佐藩を脱藩!

 

3年後の30歳のときに亀山社中(のちの海援隊)を結成!

 

31歳のときに、紆余曲折を経て、薩摩と長州の同盟を成立!!

 

32歳で、大政奉還を実現。

 

32歳で、近江屋にて、凶刃に倒れる。

 

脱藩で、世の中に出てから、たったの5年で、

 

日本を変えちゃった。

 

はい!!

 

「武勇伝♪武勇伝♪武勇デンデンデデンデン♪」

 

「レッツゴー」






 

いまから、5年後に日本を変えることが俺にできるか?

 

できるかボケィ!!

 

ここで、やっぱり行き着くのは、龍馬を近江屋にて暗殺したのは誰だ!!??

 

ってなりますね。前回の信長に続いて、これも一生解明されることは

 

ないんじゃないかっていう難題ですね。

 

いろんな説が出てます。

 

<新撰組犯行説>

現場に残された刀と鞘と下駄が新撰組にゆかりのあるものだったことや、

 

犯人が、「こなくそ」っていう四国の松山の方言を使ったという証言から、

 

新撰組の原田左之助を実行犯とする説。

 

もしくは、龍馬と親しく、新撰組を分離独立した伊東甲子太郎が龍馬と親しくしてたか

 

ら、それをおもしろくないとして、新撰組が龍馬を殺して、その3日後に伊東を殺したとい

 

う説。

 

これはさ、物的証拠を残す意味がわからないじゃん。ぜったい新撰組はやってないは

 

ず!新撰組局長の近藤勇も関与を否定してる。

 

幕府側の新撰組が坂本をコソコソ殺す意味がないもん。やってたら、近藤は「やったよ

 

っ!」って言うでしょ。

 

<京都見廻組説>

これナゾなんだけど、実際に、京都見廻組の今井信郎っていうのが、龍馬の殺害を自

 

供してる。でも、同じ見廻組の渡辺一郎ってやつも自供してる。

 

おいおい、おまえら目立ちたいんかい!!

 

今井も逮捕後、1年半で釈放されちゃってる。ナゼ!!??ナゾです。

 

<後藤象二郎黒幕説>

ある事件(いろは丸事件)で、7万両の賠償金を得た竜馬を殺して、

 

土佐藩のものにしたいがための犯行って説。

 

実際、このお金を受け取ったのは、後藤象二郎らしい。

 

<中岡慎太郎無理心中説>

近江屋で、一緒に殺された中岡慎太郎が、龍馬と無理心中したのでは

 

っていう説。

 

龍馬暗殺に関する資料の証言に関して、それは、一緒にやられながらも1日は、

 

意識もあり、龍馬死後2日後に死亡した中岡慎太郎が話したことがほとんどだと

 

言われている。

 

もし中岡が嘘の証言をしていたら???

 

中岡が龍馬を殺そうとする動機はなくもない。

 

幕府を武力で倒したい!!という倒幕派だった陸援隊率いる中岡は、

 

大政奉還で政権を返上した幕府を倒す口実がなくなったことに憤慨。

 

龍馬が死ねば、武力で旧幕府軍をやれる!!となり、殺し、

 

それから良心の呵責にさいなまれ、自分も息をたったと。

 

おもしろいけど、これは無理あるでしょ。動機はすばらしいけど。

 

そして、

 

<僕の説>

僕は、龍馬を殺した犯人たちの動機っていうのは、

 

上の中岡のところでもあったけど、龍馬が大政奉還によって、

 

倒幕派の意思をつぶしたっていうのが背景にあるんじゃないかって

 

思うんですよね。

 

殺される1年ほど前に寺田屋で襲撃にあってから、いろんな人に、

 

「命が危ないよ」

 

「うちの藩邸にきなよ」

 

と、土佐や薩摩藩に言われていたが、

 

土佐は、自分が以前脱藩してるから、なんか引け目を感じるし、

 

薩摩に関しては、土佐を断ってるのに薩摩に泊まったら、土佐がなんか立場ないし、

 

という理由で、断ってた。

 

で、ひそかに隠れ家として、近江屋の土蔵を選んだ。

 

土蔵からの脱出ルートまでも計算されていたので、

 

とても安全であったろうといわれている。

 

そして、近江屋に泊まっているっていうのは、ごく限られた人しか

 

知らなかったらしい。

 

で、龍馬が親しくしていた薩摩の人間は、知っていただろうなと思うんだよね。

 

かつ、土蔵は安全だったんだけど、寒かったらしい。だから、竜馬は風邪をこじらせて

 

しまい、2階の部屋に移っていた。

 

龍馬は、死ぬ1年前に幕府に対抗できる勢力として、

 

薩摩と長州の同盟を成立させて、倒幕に向けて奔走してた。

 

でも、それから、外国の強さ、すごさを目の当たりにして、

 

龍馬は、「鎖国してるようじゃアカン。

 

海外と、積極的に貿易して、冨のある強い国づくりをしていかないと、

 

国内で日本人同士が殺し合いをしてたら、外国にのっとられるがぜよ。」

 

という信念を持ち始めて、倒幕→公議政体論へと変わって言った。

 

そして、大政奉還を成立させる。

 

そこで、ヒザかっくん状態になったのは、武力での倒幕をうたっていた

 

薩摩や長州などの倒幕派。

 

ふざけんな!!と。

 

しかも、徳川慶喜が、新政府では、坂本龍馬を政治に中心に推薦する。

 

などと言ってしまったりしていた。

 

坂本、ふざけんなと。

 

そこで、薩摩が、京都見廻組(上で今井信郎について書いたが)を使って、

 

龍馬を殺した。と。

 

自分は、そう考えるね。

 

せっかく、大政奉還したのに、結局、龍馬の死後、1868年

 

『王政復古の大号令』とともに、

 

『戊辰戦争』が勃発!!!!

 

倒幕派が、旧幕府軍をけちょんけちょんにやっつけて、

 

明治維新が成ったわけです。

 

龍馬殺しの犯人としてつかまった今井信郎が、坂本を殺したことで重罪であるにも

 

関わらず、わずか1年半で釈放された裏には、

 

薩摩の西郷隆盛

 

による働きかけがあったとされている。

 

どうでしょうか。想像は、膨らむばかり。

 

上野の西郷さんの銅像に今度、聴きに行こうかなって思うんだな。

 

こんな熱く語ってしまいました。

 

読んでくれた人は、

 

『やさしさライセンス1級所持者』

 

だと思う。

 

ということで、歴史は、いろんな思考を与えてくれるので好きです!

 

でも、象さんは、もーーっっと・・・・。このオチ、一回やった!!!
 


←大学んとき高知に旅したとき撮影!

 

龍馬記念館に保管してある近江屋で

龍馬が殺された部屋にあった屏風。

 

黄土色のラインが入ってるところに血が飛んでるのが確認できるでしょ。




次回は、我慢の末に江戸幕府。『徳川家康』だそうです。


↓オリエンタルラジオ 

カッキーーン。

 

龍馬は、あっちゃんより

かっこいいーー!!

 

「意味は、ないけれどムシャクシャしーたかーら?♪ブラジル目指して穴を掘る♪

デンデンデデンデン、家のキッチンで、かあさんが歌う、

鼻歌微妙に違ってる♪」

 

 

「一本、一本鼻毛を抜き取り花占いをする!」

「ペケポン!」


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テーマ:歴史大好き! - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2006/02/05(日) 01:25:00|
  2. 歴史
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歴史『日本の100人<創刊号> - 織田信長』

こんちわ。無類の歴史好き。ゴジラ55です。

 

←『日本の100人』創刊号 織田信長 発売元:DeAGOSTINI


映画が好き、お笑いが好き、野球が好き、競馬が好き、ラーメンが好き、健康食品が好き、ボウリングが好き、カラオケが好き、

その上、歴史が好きってどれだけやねん。

 

って感じだけど、そう、多趣味であることを否定できない。

 

最近、仕事のせいで、めっきりテレビを見れなくなってしまったけれど、

 

そんな中で、たまたま見かけたCMで上記の日本の100人の宣伝してた。

 

これから100人分出るのかぁ。買わないわけにはいかないね。

 

速攻、定期購読スタート。創刊号190円。安い。その後も590円。

 

で、月に2冊だから、年間24冊で、1万ちょいか。まぁ、安いもんだ。

 

日経ビジネス、日経コンピュータなど、定期購読しないと

 

気が気じゃないもの以外に趣味でこんなものを購読したのは初めてだす。

 

 

創刊号の織田信長だけど、織田信長との出会いは、小学校5年生のとき、

 

親父にファミコンの『信長の野望』を買ってもらったときから。

 

親父は歴史が好きだけど、俺にも好きになって欲しかったっていうのがあったらしい。

 

が、今になってみて、俺からしてみれば、親父は歴史好きっていうけど、

 

「甘いな( ̄ー ̄)ニヤリ」って感じに思う。それほどに歴史が好きになった。

 

っていうより、自分は、何事にも興味を持つと深く知ろうとしてしまう。

 

深く知るまで突き進むから、いろんなものがコアな趣味になっていくんだなぁ。

 

と思う。

 

だから、このブログも、テーマがたくさんありすぎる。

絞れない。書きたいことが山ほどある。

 

自分で、自分の日記をダメだししましたが、気にせず突き進むそれが自分。

 

ってことで、この創刊号『織田信長』。

 

ほとんどが知ってることだったねぇ(笑)

 

小学生のころたくさん本を読んだからなぁ。

 

でも、やっぱり行き着くところは、本能寺だね。

 

誰が裏にいたのーーっていうのだね。

 

いろんな説あるよ。

 

<朝廷説>

これは、将軍を追放した信長が、天下を統一しちゃったら、

 

次に危ないのは、天皇だ!って危機感もった朝廷が、

 

光秀をたくみに操って、攻めさせたっていうの。

 

結構、ありうるかもね。

 

<将軍、義昭説>

追放された室町15代将軍、足利義昭が黒幕だったっていうケース。

 

光秀は、もともと義昭と信長を近づける役目をおって、

 

信長に近づいたから、義昭に対する忠義はずっとあったんじゃないかなぁとは

 

俺も思う。

 

<森蘭丸スパイ説>

晩年は、羽柴秀吉、柴田勝家、滝川一益、丹羽長秀などに各地を

 

任せて、結構、信長自身は目に余る行為をしていたいう。

 

信長と肉体関係までもあったと言われている森蘭丸。いわゆる同性愛ですが、

 

信長は、美少年の蘭丸を寵愛していたらしい。

 

森家は、そもそも美濃(今の岐阜県)の斉藤道三に滅ぼされた土岐明智家の

 

家臣だったといわれていて、それが事実だったら、明智光秀と森蘭丸は、

 

同族だということになる。

 

そして、三国志を知ってる人はわかると思うけど、敵の国にあたかも

 

家臣として仕官して、普通に過ごして、きたるべきときに裏切るという

 

策略、『埋伏の毒』っていうのがあるけど、それを光秀が使っていて、

 

信長が本能寺宿泊時、小姓をたった30人しか従えないような状況を

 

作ったと言われているね。

 

でも、この本能寺の変で、蘭丸は、死んでるから、どうかなって思うね。

 

<僕の説>

明智光秀は、本能寺の変後に、中国地方の毛利家と戦っていた羽柴秀吉の

 

すばやい行動で、秀吉相手に山崎の戦いで破れ、逃走中に土民の槍で

 

殺されたって風になってるけど定かじゃない。

 

徳川家康の側近で、南弘坊天海という坊さんがいたが、こいつは、

 

実は、明智光秀だっていうウワサがある。こいつ、家康が江戸幕府を

 

作るのに尽力したと言われてる。

 

これはとても興味深い。

 

なんでこんなこと考えるか。

 

本能寺の変のとき、徳川家康は、同盟相手の信長の招待で、

 

穴山梅雪とともに、大阪観光してる。そして、本能寺の変後に、とてつもない

 

速さでそっこう駿河までトンボ帰りしてる。

 

また、秀吉が、本能寺の変後に山崎まで引き返すのは、

 

あまりにも早すぎる。毛利家と戦ってるのに、そいつらを置いといて、

 

速攻引き返すなんて、用意周到にもほどがある。

 

この本能寺の変、秀吉も家康も知ってたんじゃない????

 

本能寺の変後、秀吉が反逆者の光秀を殺したという大義名分を作る。

 

光秀は、実は殺されずに家康の家臣として生きる。

 

秀吉が死ぬまでは、家康は、秀吉の家臣として生きてた。

 

実際、豊臣家の5大老のうちの一人になってる。

 

なんでかって、信長が政権を振るうのは、もう無理だって

 

思ったんじゃないかなぁ。森蘭丸を寵愛して、他のものをよせつけない。

 

自ら戦地に赴かない。もう昔の信長の光がなくなってしまってたんじゃない?

 

まぁ、この説もだいぶ穴だらけだけど、おもろいかなと思う。

 

こうやって、いろいろ説が作りだされて、きっとこのまま真犯人は出てこない

 

だろうなぁって思うけど、信長をずっと最強だなぁって思うのは、

 

死体が見つかってないってところですね。

 

本当は、逃げて、どっかでひそひそと生きてたとしたらどうしますか?

 

そりゃ、アイススケートの織田信成もグルグル回転するっちゅうねん!

 

って話ですね。

 

信長の17代後らしいけどさ、あんなに強くて威厳のある織田信長の

 

末裔が、あんな格好でグルグルまわってたら、なんかホッとします。

 

平和な世の中なんだなぁと。

 

織田無道は、・・・・。(笑)

 

次回は、自分の好きな坂本竜馬らしいんで!楽しみにしとるぜよ!!

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  1. 2006/01/29(日) 01:41:00|
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